由来
御創祀は日露戦争により愛国心の高揚していた明治37年頃と伝えられるが定かではない。開拓時代内藤農場の所有地に尾崎釿四郎が蝦夷松で角柱を削り天照皇大神と墨書して祀ったのが始まりとされる。それから2年後、西町に遷座、市街地の拡大に伴い更にイクトラシベツ川西岸の公共用地に遷り、当時の社殿は昭和32年に倒れるまで残っていた。氏子は此の川を渡って詣でたという。昭和15年、国民精神の盛り上がりの世論に支持されて当時の佐々木幸男村長の発議により南富良野神社御造営奉賛会を設立、地元の幾寅は無論、落合・鹿越・金山・下金山の各地域から奉賛会委員が選出され活動を行った。昭和16年6月19日南富良野神社創立が認可され、境内地は内藤璋義氏が寄付、鹿越に石灰鉱山を経営していた王子製紙㈱の大口寄付6千円を筆頭に続々と浄財も集まり、設計施工を旭川市の平山に請け負わせ昭和18年に着工、戦時下にも関わらず同年暮れには現在の社殿が竣功、同時に鳥居も建てられたが、木造の鳥居としては付近随一のもので木材の村として発展していた南富良野村の面目躍如であった。現在は鋼管製大鳥居に建て替えられている。戦後昭和21年より富良野神社宮司西川仁之進が兼務宮司となり、平成4年には現宮司となる。平成7年には傷みの激しい社殿屋根の葺替等の修理並びに祭務所を新設、面目を一新した。
特殊神事
幾寅獅子舞