由来
明治22年11月18日、北海道炭鉱鉄道株式会社の設立と共に、夕張炭山並び鉄道敷設の安泰祈願の神社として、登川村夕張炭山字社光に神殿を築造せられたことが発祥となり、井上角五郎により伊予一の宮大山祇神社並に島根県出雲大社の御分霊の御奉遷を願い奉斎した。これが御創立の由来で、同会社社長高島嘉衛門の意志により、社光より現在地に神地を求め移転し登川神社と称号。大正11年社殿・社務所外一切を類焼し翌年再建とともに夕張神社と改称した。昭和4年村社、同9年郷社に昇格。この間、軍艦夕張の守護神として神霊を艦内に奉斎すると共に日本海大海戦以降本神社と因縁浅からぬ海軍元帥東郷平八郎閣下より自筆の御神額が奉納された。昭和38年本宗大山祇神社、昭和42年出雲大社より各御神宝が与えられ、昭和46年太宰府天満宮より文祖菅原道真公の御神霊奉斎が許可され10月2日、御奉遷の儀を斎行した。
社宝等
社名額(市指定・「東郷平八郎直筆の書」昭和4年~9年)
大盃(市指定・「欅朱塗」昭和初期)
額(市指定・「登川神社木彫掲」明治27年(推定))