由来
文化12年(1815)創立。ニシンの豊魚と海上安全と祈願し現在の銀鱗荘の斜面中腹に建てられた。明治8年村社に列する。この頃旧熊碓小学校の所に移され、その後同校の東側に移ったのが明治12年である。明治30年代の明細帳には間口4間奥行3間の建坪9坪5合、境内地96坪、信徒144人とある。大正2年、金比羅神社を村社に廃合する事となり、同年8月社殿をそこに移転遷座し、社名を稲荷神社から熊碓神社へと改称した。しかし、ここは急勾配の山腹で風荒び冬は雪に埋没する為傷みが激しく、又人家から遠い山奥で氏子と疎遠になるとの事から、ふたたびもとの境内地に大正9年6月移転遷座した。昭和28年宗教法人となる。昭和34年10月境内前の国道の交通量急増と、鎮守さんは町内を一望に見渡せる場所が理想との事から旧金比羅神社跡地に移転遷座する。昭和48年老朽甚だしく且つ地域発展に対応する為社殿を改築し10月新社殿に遷座し、12月奉祝祭を執行する。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
金比羅神社 大物主大神 明治40年頃創祀 昭和32年6月13日合祀