由来
明治35年9月5日、前八百太、山下徳蔵の両人が徳島県海部郡中気頭村、村社八幡神社から健御賀豆智神、応神天皇の御分霊を招請して小さな祠を建て奉斎したのがはじまりで、明治39年に小野幾太が愛媛県新居郡角野村、村社内宮神社の御分霊天照大神を招請して合祀した。昭和2年3月31日に神社創立が許可され、昭和3年11月13日に村社に列せられ、同年11月24日神饌幣帛料供進神社に指定された。戦後神社制度の変革に伴い、昭和21年2月2日社格が廃止され宗教法人となった。創祀当初は中士別12線にあったが、明治39年9月16線に移転鎮座し、さらに明治41年9月に18線北3番地に移して奉斎、昭和19年8月29日に現在地の17線北4番地に鎮座して今日に至っている。平成8年6月、御社殿の御屋根を全面葺き替え、本殿に千木、樫木を復活した。毎年農作物の作柄に感謝をこめ、御創祀の日に例祭が行われる。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
神恵神社 天照皇大神 大正2年創祀 平成8年8月11日合祀
境内外末社
上士別中央社日神社 天照皇大神 倉稲魂大神 大地主大神 埴山姫大神 大己貴大神