由来
村山農場が開設され数戸の農家が落ち着いた明治の中期頃、中島栄蔵等により現在の西2線91番地に鳥居を立てたのが創祀である。大正9年岡田菊太郎の呼びかけにより上然別神社を創立する事とし、大正12年西6線に鳥居と本殿を建築し盛大に祭典を行っていた。上然別に神社が出来たことにより誉地区においても誉神社を大正末期宮本富次郎より原野2反歩の寄贈を仰ぎ西2線89番地に移転し、両地区ともに春秋の祭りを続けていた。昭和31年2地区の神社を上然別小学校の校下を氏子範囲として統合すべく話し合いが進められ、合併することで住民意志の統一が図られた。旧村山の浦野正雄・松井耕一の提供により敷地が用意され、昭和32年上然別の本殿を奉遷し鳥居を新築して地理的に恵まれた現在地に両神社の合併を見た。昭和33年宗教法人として認可され、昭和43年には本殿・拝殿が造営された。平成17年9月には、老朽著しい御社殿を憂いた氏子中は、総秋田杉の御造営を成し遂げる。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
誉神社 天照大神 昭和32年9月合祀・上然別神社 天照大神 昭和32年9月合祀