由来
創立年代不詳であるが、古老の伝えるところによると第102代後花園天皇の御代永享年間(1429~1441)本村の創始者平氏盛阿彌、深く八幡神社の御祭神を尊信し祭祀を執行して来たことに始まり、現に永享11年3月に同氏の奉納した鰐口1振を蔵していることでも古社であることを証することが出来る。その後村内の戸口愈々増加して、第117代後桜町天皇の御代明和8年7月(1771)現在の社地に御神体を安置する。明治9年村社に列せられ、明治25年社殿を改築し、大正6年許可を得て境内地5畝4歩を8畝24歩に拡張し、昭和4年4月5日神饌幣帛料供進神社に指定される。現在の社殿は、昭和23年7月に改築した。
社宝等
鰐口(永享の鰐口)(永享11年3月)
社宝付記 鰐口には「奉寄進夷島脇沢山神御宝前永享11年3月日施主平氏盛阿弥敬白」との銘があって、昭和43年に北海道の有形文化財に指定されている。文化年間に山神(やまがみ)の社があった場所から出土したものだが、永享11年(1439)は室町時代前期で、津軽地方に平(たいら)を姓とする豪族が居たことが確認されているから、その分家が渡来して来ていたかもしれない。鰐口に記してある「盛阿弥」(じょうあみ)は、念仏信仰に端を発する一つの文化階層に多用された阿弥号であって、これは定住者の文化水準を考える上に貴重な金石文である。文化年間に脇ノ沢から発掘されて石崎八幡神社に納められたもので脇ノ沢は旧石崎の字(あざ)で別名宮ノ沢ともいう。
特殊神事
松前神楽(祈年祭・例祭奉奏)