由来
刈田神社は登別市中央に鎮座し御祭神は保食神・日本武尊・大物主神を奉斎し北海道最古の神社として住民の生活と平安そして開拓を守護して来た。当社創立年代は明らかではないが古く幾百年の歴史を有し、幕政時代の蝦夷誌絵図などに妙見菩薩、弁天堂あるいは妙見稲荷社という記載がある。神仏混合時代に来往した和人が先住者と共に衣食住の守護神として保食神を奉斎したものと思われる。其の後天正17年(1589)胆振に六領がおかれ産業通商航海交通の守護神として社殿鳥居が建てられ亦明治3年白石城主片倉小十郎邦憲家臣が150余名を従え守護神白鳥社日本武尊の神霊を奉じ移住合祀し、又四国よりの開拓者は4国金刀比羅宮の祭神大物主神の神霊を奉じ移住合祀した。明治8年幌別村鷲別村登別村の郷社と公称遠くは胆振の国六領の守護神また奥州白石領の守護神として幾多の変化にも常に変る事なく御神徳を明らかに住民を守護されてきた。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
妙見稲荷社神社 保食神 明治3年合祀
社宝等
神鏡
片倉家陣太鼓
境内外末社
三貴子神社 天照皇大神 月讀命 建速須佐之男命
大山祇神社 天之御中主大神 大山祇大神 少彦名命(すくなひこなのみこと) 大己貴神(おおなむちのかみ)
祖霊舎 氏子の祖霊
相馬妙見神社 生馬神(いくまのかみ) 保馬神(やすまのかみ)