由来
日露戦争が終って間もない明治39年11月3日、当時の天長節を卜し、矢後喜一郎之命を始め9柱の戦没者招魂祭を執行したのが十勝護國神社の起こりであった。大正2年4月、現在地に帯廣神社の旧仮殿を譲り受け、帯廣招魂社と称した。昭和11年には招魂社祭典協賛会を組織し、同年7月の招魂祭から全市民が国旗を掲揚し、以来終戦まで招魂祭当日を帯広市の祝祭日とした。昭和21年に帯廣護國神社と改称、翌22年4月帯廣平和神社と改称し、7月15日を例祭日とした。昭和33年に現社殿を造営、同39年4月には帯広出身者のみでなく十勝管内の町村出身者も合祀の為、十勝護國神社と改称し、例祭日をこれまでの7月15日より7月25日に変更した。昭和55年7月には創祀75周年の記念式典を執行した。平成11年、社務所を改築する。