由来
当幌内神社は明治13年無格社として当時の幌内炭山の鎮守の山神として奉斎し社守として岡本某奉仕、明治15年榎本武揚参拝の節社号額面を奉納、明治35年炭砿汽船株式会社専務井上角五郎のはからいにて大三嶋神社より御分霊を奉戴、明治35年4月幌内神社と公称し、其の間社守2名を経て社掌田頭和佐ヱ門が着任したが同36年死亡した。明治38年10月山形友蔵が岩見沢神社より本務社掌として着任(22才)。神社は炭砿と共に盛衰を繰返し一時は氏子数3000を数えたが閉山の為当宮司も転出し、現在兼務社として奉仕。奥深い人里はなれた地に近年まで昔日の面影を留めていたが、平成13年の雪害にて社殿が大破した。しかし宮司の本務社峯延神社に難を避け再建に向けて協議中であるが祭典は平常に斎行している。宝物は峯述神社に殿舎を建立しお守りして現在に至る。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
山神社
湯殿山神社 大山祗神 明治36年8月創祀