由来
延宝2年(1674)忍路場所請負人西川伝右衛門が勧請し、元禄2年(1689)に社殿が創建された。明治8年(1875)郷社となり、同17年に蝦夷大国主神社から忍路神社へ改称と併せて市杵島姫神を合祀する。同23年社殿焼失、同29年再建、大正元年には忍路村稲荷神社を合祀、同9年11月10日現在地に本殿を移転すると共に拝殿を再建した。同10年2月神饌幣帛料供進神社に指定された。大国主命を祀る神社としては本道で最も古いとされ「蝦夷大国主一の宮」ともいわれてきた。拝殿のわきには西川氏の邸内社であった稲荷社があり、嘉永3年(1850)秋田の中島作次郎が建築したといわれ、クギを使わず組み立て式で造られた建物。奉納されたものには弁財船に乗つてきた人が奉納した寛保元年からの絵馬が10数枚ある。昭和61年6月建てて百年近くになる本殿を原形のままで再建し、往年の姿を残している。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
稲荷神社 倉稲魂命 創祀不明 大正元年11月1日合祀
社宝等
小樽市指定の保存樹林「イチョウ」(公孫樹)