由来
当社区域は明治36年頃から戸数増加し、開拓者により現神社山北側麓に祠を建て天照大神を奉斎した。昭和2年剣渕村から温根別村として分村、昭和9年神明造本殿・流れ造拝殿を建立遷座した。しかし無願神社なるを遺憾とし昭和15年、皇紀二千六百年記念事業として出願認可翌16年村社に列格、神饌幣帛料供進神社に指定された。戦後、昭和21年神社本庁所轄宗教法人令による法人、29年宗教法人法に基く登記を完了した。同時に奉賛会を組織、神社の維持及び祭典執行体制を確立したが、33年浜田宮司が転出兼任となった。43年現宮司が兼任発令、45年旧社殿増改築、無願社の北静川神社を合祀、49年には伊文大国神社を合祀、参道石段を新設した。62年例祭日を7月25日に改め、翌63年御造営奉賛会を設立懸案の新社殿改築に着手、元年遷座祭、平成御大典を期し手水舎、由緒記念碑を建立奉祝祭を斎行。平成7年無願社仲線神社を合祀した。平成15年4月百周年奉祝祭(石灯籠建立、工作物修理、記念植樹)
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
北静川神社 天照大神 明治45年6月創祀 昭和45年7月31日合祀 伊文大国神社 大国主神 明治45年創祀 昭和49年9月20日合祀 仲線神社 天照大神 明治40年6月創祀 平成7年合祀
社宝等
境内碑石 「地神碑」「馬頭碑」「忠魂碑」
特殊神事
「温根別太鼓」昭和54年祭り好き太鼓好きの若者により結成、祭典樽みこし渡御奉納の他小中学生に伝授指導している