由来
明治26年全国19の県より屯田兵400戸が入植す。當麻神社の御創祀は屯田古文書によると明治27年5月西兵村の丘陵地を神社地と定め、東西両中隊屯田兵50名づつを集め社地の地ならしに従事、5月5日丘上に「當麻神社」と命名した標木を建立し、標木は1尺角のもので天照皇大神、春日大神を合祀し、後に八幡大神を増祀した。祭日を移住の中日である5月15日と定め移住記念祭を執り行ったのが當麻神社の御創祀の日であり例祭の始りであった。明治29年社殿を造営、屯田兵大森政太郎の父大森仍央が神職として奉仕、明治41年公認神社となった。例祭日はその後2度変更されたが、現在の7月10日に定着今日に至る。大正3年社殿の一大増改築が行われ、大正4年村社に昇格し、更に當麻村開村30周年を記念しての増改修が行われ昭和3年御大典を記念し郷社に昇格され、昭和27年講和条約締結、主権回復記念として現在地に社殿造営、昭和32年に移転遷座され今日に至る。
境内外末社
秋葉妙見宮(あきばみようけんぐう) 天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ) 火迦具都津神(ほのかぐつちのかみ)
大山祇宮(おおやまつみぐう)(当麻町指定文化財) 大山津見神(おおやまつみのかみ) 木花咲耶姫神(このはなさくやひめのかみ)