由来
相馬神社は大正14年10月23日、武田文蔵・木村博介の両氏が設置主となり、松岡藤造・三浦幸作・長沼喜代寿・多田末吉・武田亀吉・富谷作太郎・赤塚太作の各氏が中心となって建立されたことに始まる。その奉斎の趣旨書には次のように記されている。「維時大正14年10月23日馬市開催に当り、茲に産業立国の趣旨に基き国民一般の崇敬せる相馬神社の御分霊を黒松内村字東山公園に社殿を建設し、以て国民一般の崇拝を仰がんとするにあり。抑も造化の産神より生ずる太田命は立国の産業を起さんとするには牛馬の力にあらざればこれ為んと誓い、自らが牛馬の精と現れ牛馬を加護し以て人類に多大の神益を与へ霊現顕著なる御神霊に坐しますを以て、其威徳を慕い、茲に御分霊を安置し一般崇敬者の御賛同を仰ぎ、毎年馬市日を卜し御祭典を斎行した」。