由来
千葉県からの入植者たちは、明治26年に和35番地3に木柱を建て天照皇大神、八幡大神を奉斎、5年後の31年には2坪の社を建立、郷里の神社より正式に御分霊を戴き奉斎した。渡辺農場、三谷農場、和川端の各地区にもそれぞれ神社が建立されていたが、大正10年8月、敷地と一部造営費用の寄附を条件として和神社境内に建立するということで合併を決定、翌11年に4社を合祀し社殿を元和神社の境内地に建立、社名を真龍神社とした。大正13年11月15日、無格社として公認され、昭和2年1月14日には村社に昇格している。同19年11月25日、社務所を改築した。現在神社には千葉団体長であった吉植宗之輔揮毫の「和神社」、開拓団長、商工政務次官で子の吉植庄一郎揮毫の「真龍神社」の扁額、また代議士であり田園歌人として有名な孫の吉植庄亮揮毫の額、吉植家3代の筆跡が残されている。