由来
美深町に開拓者が明治33年に入植し、神社は明治36年に創祀された。最初は下名寄村神社と称され、明治37年10月3日に初めて村として祭事が執行され、初代神職は幕内平次郎であった。明治38年に現在地に社殿が建立された。大正9年美深村となり、大正11年に村社に列し、神饌幣帛料供進神社に指定、大正11年幕内平次郎が初代社掌に任命され、2代幕内徳雄、3代社掌幕内次郎が昭和8年に就任するが、太平洋戦争にて戦死、妻幕内鉸が宮司代務者として奉仕し、昭和46年現幕内信温が宮司として就任し現在に至る。昭和47年新社殿並に社務所が建立され、昭和63年神輿庫建設、平成4年に斎館の建設がなされ境内地の整備神域が整い現在に至る。境内地には3社神社、忠魂碑がある。美深町が昭和33年の大火により市街地8割焼失を記して火防鎮護として鎮火碑が建てられ毎年祭事が行われている。
社宝等
環境緑地保護地区
境内外末社
三社神社(さんしゃじんじゃ) 宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと) 日本武尊命(やまとたけるのみこと) 天香久山命(あめのかぐやまのみこと)