由来
本神社は安政5年(1858)3月幕府の漁場請負人藤野四郎兵衛が根室から千島への渡航の要地、野付半島龍神崎に航海の安全と大漁を祈願し、大綿津見神を奉斎したのが創祀である。当時、龍神崎周辺はノッケ通行所等があり和人の定住多く現在も先住者の墓石が散見される。一方、尾岱沼は野付湾に面し魚族多く漁業を営み定住する者年々増加するに伴い人心の拠り処として神社設立の要望が高まり、野付湾並に半島を一望に収むる現在地に社殿を建立「大綿津神社」と称し祭祀を行った。反面前記龍神崎は時の推移と共に住民は漸減し皆無となったので明治42年11月3日龍神社を合祀した。現社殿の内陣は龍神社の本殿である。次いで旧社殿は建立以来腐朽化が進み、社殿改築の議が起り昭和38年9月10日改築御造営正遷座祭を斎行した。昭和45年3月10日法人神社設立議決、社名を「野付神社」と改称、同年4月10日法人神社設立認可と規則承認申請、同年8月認証を受け今日に至る。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
龍神社 大綿津見神 安政5年3月創祀 昭和41年11月3日合祀