由来
明治26年4月16日、香川県北海道移民奨励会の移民監督福家締吉は、開拓安全の神として香川県金刀比羅本宮より神霊を奉持して本道入りし、同年9月猿別山に草屋を建てて奉斎したのが始まりとされ、その後有志によって7坪の拝殿を山頂に新築して祭典を執行、明治34年5月には野瀬駒次郎を専任宮司に任命し、拝殿および社務所を造営したのは明治44年のこととされている。又、神社の基本財産の造成につとめて大正4年12月に神社創立を出願、翌5年5月4日に内務大臣から無格社として認可された。無格社から村社に昇格したのは大正12年4月4日で、昭和55年5月14日に本殿、社務所および職員住宅を造成、平成5年には創立100年を記念して階段および境内を整備と事業が続き、今日も幕別町民から「コンピラさん」という名で親しまれている。