由来
本神社は明治36年8月15日の創祀と伝へられる。当時の移住者相議り小祠を造営し天照大御神を奉斎し当町の開拓守護神として奉祀した。大正4年仮殿造営御奉遷。同7年神殿造営し大己貴神と少名毘古那神を合祀する。同11年12月20日創立出願。同12年8月11日許可せらる。同14年12月17日拝殿改築認可。同15年12月7日村社に列せらる。昭和5年5月14日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。同29年4月26日宗教法人となる。同39年6月10日深夜、不慮の火災にあい御神体は無事御奉避するも社殿は全焼する。同43年5月再建御造営奉賛会を正式に結成し協議の上、建設地を現在地に決定。焼失より約5年後の同44年12月8日遷座祭斎行。時同じくして社務所完成す。平成3年5月に平成御大典記念事業の石玉垣・ブロック塀新設工事竣工。平成9年7月祓所・手水舎・授与所の新設工事が竣工、同14年9月には徳川宗敬神社本庁統理の揮毫になる白御影石製社号標を新築、同15年7月には御創祀百年記念事業として、社殿補修工事ならびに社務所改築工事が竣工した。同年10月に御創祀百年奉祝臨時大祭ならびに記念式典祝賀会を盛大に斎行した。平成20年12月より3カ年、第12期教化モデル神社として神社本庁より指定を受けている。
特殊神事
昭和15年、紀元2600年を奉祝して、神楽“浦安の舞”が御制定になり、当社でも同年11月15日の奉祝祭に奏されて以来、現在まで欠くことなく、例祭には国土平安の願いをこめ奉納されている。歴代、町内有志家の子女が舞姫として奉仕している。