由来
嘉吉3年安藤盛季矢不来に舘を築く。長禄元年アイヌとの戦いに稀瑞を感じ舘主下国安藤式部大輔安部家政が家臣池田半太夫源輝元に命じ神勤させた。爾来、守護神として崇敬す。貞享5年下国儀季造営、元禄14年、下国要季造営。同年、拝殿を吉川六兵衛が造営、宝暦2年下国細見が再建、明和3年下国但見安部季政が再建、天明3年7月下国勘由が再建、元治元年再建、明治8年村社に列す。明治15年下国安芸が茂辺地に遥拝殿再建、明治28年遙拝殿移転、大正6年矢不来より茂辺地に本殿を移転、大正6年神饌幣帛料供進指定。昭和3年上磯町字矢不来138番地に移転、昭和43年社殿を神明造に改築する。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
舘稲荷神社 倉稲魂神 元和元年9月創祀 明治11年合祀
社宝等
額面 矢不来天満宮(文政12年)松前章広書、締太鼓欅胴(寛政8年2月)、湯立用(松前神楽式)釜(2)(文久3年9月25日)、花崗岩製明神大鳥居(天保11年5月)、花崗岩製明神鳥居(文政10年7月)その他 昭和57年7月3日文部省告示第114号を以て境内全域が史跡並びに城跡として国指定となる。
特殊神事
松前神楽式神輿渡御に伴う奴振行列(上磯奴)
境内外末社
川下社 木花開耶姫神(このはなさくやひめ)