由来
本村の元名はキオツペと稱し内地より漂泊渡道の人々一団となり砂金採掘に従事していた、350年前の元亀天正の頃本社が創立した。其の後寛保元年2代将軍家斉の頃津波にて殆んど全滅の状態になり漸次内地人の渡来と共に本殿は3尺四方、拝殿は間口2間半奥行3間となる。明治4年9月社殿改築、大正7年11月12日近傍の民家より出火し北西の風強烈で直ちに社殿に延焼し本殿と拝殿、並びに宇賀之魂命を奉祀した稲荷神社明治39年の改築の社殿も焼失する。当時総代人西沢留五郎が65才の老齢なるも、自家の危急を顧みず直ちに社殿に馳せつけ、御神体と刀剣2振を奉持し、火中を逃れ出で、鎮火後恵比須神社へ奉遷した。昭和48年11月6日現在の社殿を建立、前宮司石川佳中、7名にて遷座式を行い、10月9日小学校にて神社新築祝賀会を行った。
特殊神事
松前神楽