由来
当地方開拓の当初、明治34年11月3日、現・徳島県那賀郡上那賀町平谷の村社八幡神社より八幡大神を招請、小祠を建て奉斎したのを創祀とする。翌35年6月15日には同郡相生町井之谷の白人神社より安産守護神として白人大神を、同8月15日同郡水沢村木頭の式内社宇奈為神社より十二社大神をそれぞれ招請し上士別原野開拓の守護神とした。同37年社殿御造営、社務所を建設、天照皇大神を合祀、前記神々を神殿に遷座した。同42年10月神社創立を出願、翌43年5月25日より無格社上士別神社として創立許可され、茲に上川管内5番目、士別地方では最初の公認神社が誕生した。
大正2年、12線以南は上士別村として独立、鎮座地は中士別と改称され、境内参道社殿増改築など逐次整備がなされ、大正14年社号上士別神社を中士別神社と変更許可された。
御創祀70、80、90周年各事業により、社殿御改修・大鳥居・社号標立替・狛犬建立・社務所移転新築などが進められ平成御大典事業で明治41年奉納の手水石の上に手水舎も新築された。平成12年社殿御造営、御神輿奉製、神輿殿新築他3.362万余円の記念事業を完遂、百周年奉祝祭を斎行、中士別の鎮守様、町民の守り神として崇敬されている。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
神明宮 天照大神 明治39年9月創祀 昭和47年6月12日合祀
社宝等
手水石(明治41年9月)
賽銭箱(大正6年)
八咫鏡(大正6年)
八幡大神宮絵馬(大正8年)
本殿は明治34年創祀当時の建物
特殊神事
市立中士別小学校児童による手造りみこしパレード(昭和60年より例祭日に実施継続中)
境内外末社
地神碑 天照大神 大地主神 植安姫神 倉稲魂神 大巳貴大神