由来
明治32年7月12日、本道最後の屯田兵337戸が入植、練兵場の南敷地に移住記念標を建て札幌神社の御祭神を奉祭し入隊式が行われた。これが剣渕神社の創まり。明治36年、平波山に剣渕神社本殿新築、大正8年5月30日、公認神社創立許可願い出願、大正9年3月4日、無格社に列す。大正9年4月9日、村社に列す。大正13年5月1日神饌幣帛料供進指定。昭和12年、本殿及び拝殿を造営し、新殿に遷座する(現社殿)。昭和27年8月19日、神社本庁に所属。昭和52年10月26日、境内神社「静川神社」設立。昭和52年12月1日、境内地を11400坪増加し、12100坪とした。昭和53年11月5日、御創祀80周年記念、社務所改築参集殿増築(現社務所)平成2年10月30日、御創祀90周年記念、本殿及び拝殿補修、大鳥居、手水舎、授与所を造営した。平成10年11月御創祀百年記念事業として社務所の増改築と公衆便所の新築を竣工、12月8日竣工奉告祭と記念式典を挙行し、平成11年9月奉賛者芳名の掲示板を設置した。
特殊神事
入植以来、昭和32年まで、毎年剣渕祭りに「獅子舞」と「屯田兵太鼓」が奉納されていた。後継承者がいなく一時休止状態となっていた岐阜神楽は、昭和52年に国が「青少年ふるさと運動」を起こすのを期にして、20年間中止していた獅子舞の素性を調べるため、故郷を訪れ(岐阜県郡上郡高鷲村の鷲見地区)白山神社に奉納されている獅子舞、とび獅子を20年前におどったことのある老人たちが舞やすく編曲し、活気あるものに創作して、農村青年と剣渕高校生に伝承されて復興した。獅子舞は「剣渕神楽」と名付け保存会は「剣龍会」として、太鼓名は「屯田太鼓」と名称を変えて、年毎の剣渕祭りに奉仕し、各御旅所で獅子舞と太鼓が奉納されている。
境内外末社
静川神社 天照皇大神 稲荷大神