由来
明治35年、開拓の先人達が心の拠り所として頭無川の東端堤防敷地に小祠を建立し、国土生成の祖神大國魂神、大己貴神、少彦名神を御鎮祭したのが始まりで明治40年に現在地に御奉遷、大正8年には村社に列格され、昭和11年に現在の御社殿を御造営、同15年に郷社に昇格、次いで県社昇格を直前に大東亜戦争の終戦を迎えた。戦後は人々の価値観が大きく変貌し厳しい情勢の中氏子会を設立し、氏子崇敬者一丸となって社務所を始め境内諸施設の新設又は改築、屋根銅板葺替等社殿の修復、境内社2社の御造営、境内の整備充実等御社頭の面目を一新した。平成14年には御創祀100周年を迎え、厳しい経済情勢の中役員氏子の努力により多額の募財を集め、老朽化著しい社務所・職舎の全面改築、社殿・祭器庫の修繕、参道・駐車場の整備、記念碑建立等、記念事業を完遂し、同年7月には献幣使の参向を仰ぎ御創祀100周年を奉祝し記念大祭並びに祝賀式典を盛大に執行した。昭和52年より毎朝の朝拝行事に当たり「北方国土返還貫徹祈願朝詣の集い」を実施、毎年6月より9月まで北方国土の1日も早い返還を氏子と共に祈願、又昭和41年建国記念の日制定以来、実行委員会を組織し「建国を偲ぶ市民の集い」を社務所にて開催、時局問題を取り上げつつ建国だんごを参加者に配布し国の古えを偲ぶ等々、時流に流されない息の長い啓蒙活動も展開している。更に日清日露の戦役より大東亜戦争に至るまで国の礎として散華された英霊、並びに地元の発展に尽くした公歿者を顕彰する戦公歿者慰霊顕彰祭を毎年6月に斎行、遺族会を始め多くの参列者と共に感謝の誠心を捧げている。神社の護持運営面では平成5年に富良野神社協力会を別途発足させ円滑な維持運営の大きな力となっている。以上、氏子と共に諸事業・啓蒙活動を通して上川南部の中心神社として現在に至っている。尚、昭和50年には冬季国体開催に当たり陛下名代の高松宮殿下の正式参拝の光栄に浴し、御社殿前庭には昭和天皇の御製碑が建立されている。
その他 例祭御神幸式では「富良野獅子舞」「富良野弥栄太鼓」が演奏されている。
境内外末社
金刀比羅神社 大物主神 崇徳天皇
稲荷神社(いなりじんじゃ) 稲荷大神(いなりおほかみ) 倉稲魂神 佐田彦神 大宮能売神 田中神