由来
当神社は明治40年8月10日讃岐金刀比羅宮の御分霊を奉祀したのを起源とする。往時内陸部における物質の輸送は石狩川・空知川の水運をもっての舟便・流送がその主要な手段であり、明治35年頃からこの北空知太が雑穀・木材・米噌など諸物資の中継集散地となりその往来は隆盛を極めた。この回漕・流送の業に従事したのはその大半が富山県から移住した当地開拓の先駆者であったが、当時芦別迄遡行するのに船を引綱で曳き、或いは船棹で突くなどして実に15時間も要したと言われ、又遠く幌加内・金山迄遡って木材の流送に従うなど身を挺し心血を注ぐ想像を絶する辛苦と困難に終始したと思われる。この様なことから水難による犠牲者もあり、その霊を祀ると共に家業の守護神として金刀比羅神社建立の議が有志の間に起こり御分霊奉祀に至ったものである。