由来
本神社は、天明年間(1781~1789)海上安全と大漁を祈願して幕府の漁場請負人により創建されたものと伝えられ、その後、場所請負人等の寄進で随時体裁を整え、文化2年(1805)7月に社殿を改修、天保11年(1840)9月、場所請負人藤野喜兵衛が本殿及拝殿を改修造営した。天保13年(1842)吉田喜右ェ門・館村順衛両氏により花崗岩製石燈籠1対奉納された。元治元年(1864)会津藩絵師星暁邨が現在の神社周辺を「士部津三社」として描いている。明治33年9月神社創立を出願、同34年4月諸届出完了し公認神社無格社となる。同36年8月不幸にして社殿宝物備品古文書等37060円余一切灰燼に帰す。同45年6月社殿再建出願、大正元年10月竣工、昭和12年村社に列格、昭和16年、紀元二千六百年記念事業として社殿並社務所造営出願、同21年7月竣工、正遷座祭を斎行す。同29年3月19日法人神社として認証され現在に至る。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
伊茶仁神社 金刀比羅大神 昭和初期創祀・浜古多糠神社 稲荷大神 明治18年4月創祀 平成10年7月28日合祀
社宝等
花崗岩製石燈籠(町指定・天保13年作)
倉稲魂神御神像(江戸中期頃の作)
宇賀弁天神御神像(立像)(江戸中期頃の作)
宇賀弁天神御神像(座像)(江戸中期頃の作)