由来
開拓当時明治30年頃厳しい環境の中で五穀豊饒家内安全を祈願し中島地区(第9部)柳然別と称し木標を建立して天照皇大神宮と称するに始まる(明治32年1号地先)。一方東地区(第8部)にも前橋喜次郎等が発起人となり仮社を建て金比羅神を奉斎して然別神社と称した(明治40年頃北9線地先)。大正10年当時役場の行政上両地区を併合して第29部と改称するにいたり、一部に両社は最も不敬に当るとの異論があり、氏子一同協議の上松原真次郎・野村直次郎等より敷地の寄附があり合併と共に現在地に移転となった。昭和元年神社創立申請を提案し昭和2年7月7日を以って創立認可となり無格社とされた。おりしも御大典事業と神社新築の相談となり、昭和3年4月26日着手、6月に起工式を執行し、3,000余円の浄財を以て、氏子の努力により近村絶対無類の社殿を建築し、10月3日を以て落成式と共に御大典を祝った。昭和21年宗教法人となった。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
柳然別神社 昭和33年創祀 然別神社 大正10年合祀