由来
明治18年、広島(現在の西野地区)・右股(現在の平和地区)・左股(現在の福井地区)の3地区開拓の守護神として3柱を奉斎する小祠が建てられる。これが西野神社の創建とされる。
明治32年1月、西野全域統合の神社として社号を西野神社とする。同年7月、境内地として安井茂右衛門から300坪、安井岩五郎から150坪の寄付をそれぞれ受ける。
大正4年、西野神社改築の認可を得て、翌5年に社殿が新築される。同年11月、境内地として久守五作から畑三反歩の寄付を受ける。
大正14年12月、西野神社昇格願が内務大臣に提出され、昭和4年1月、無格社から村社に列格される。同年7月、神饌幣帛料供進神社の指定を受け、同年8月には上手稲小学校前の神社用地(現在の西野福祉会館の地)に西野神社遥拝所が造営される。
昭和27年4月に神社本庁から、翌28年2月には北海道庁から、それぞれ宗教法人西野神社規則が承認され、同年3月、西野神社の宗教法人設立の登記手続が完了。
昭和42年、大正5年に社殿が新築されてから50年が経ち社殿の老朽化が著しく進んでいたことから、半世紀ぶりに社殿が建て替えられる。同年、遥拝所が廃止。
昭和57年7月、神社前の市道(右股線)道路拡幅工事施工のため、境内地の一部を札幌市に売却。
昭和58年、西野神社創祀百周年記念事業の一環として幣殿の造営、拝殿の増築、神饌所の増築、社殿屋根の銅板への葺き替え、回廊や欄干の増設など大規模な増改築が行われ、また、ほぼ同時期に社務所の新築、神札所・物置・渡り廊下の改築、ガレージの移設、手水舎改装等の工事なども行われ、境内の様相が一新する。
昭和60年7月、西野神社創祀百周年記念塔が竣工。同年9月、西野神社創祀百周年記念式典・祝典が挙行される。
平成7年10月、創祀百十年記念事業として、授与所と参拝者用トイレが新築される。
平成10年、参拝者控室、多目的応接室が建設され、ほぼ同時期に、神饌所改修、屋内手水舎新設、社務所玄関改築、中庭造園工事なども行われる。
平成17年、創祀百二十年記念事業として、創祀百二十年記念碑の建立、拝殿の向拝と境内の参道への御影石敷設などが行われ、境内はほぼ現在の様相となる。
平成19年11月、新穀勤労感謝祭(平成21年以降は新嘗祭の名前で斎行)と併せて神輿殿解体報告祭も同時に執り行われ、同月、老朽化の進んでいた神輿殿が解体される。
平成20年2月、旧神輿殿跡地に、株式会社クリーンリバーからの奉納により新しい神輿殿が竣工。
平成22年7月、参集殿増築工事とそれに伴う御霊舎設営工事が完了。
平成27年、創祀百三十年記念事業として、第一駐車場全面や創祀百二十年記念碑周りへの御影石敷設、掲示板の建て替え、氏子青年会の結成などが行われる。
平成30年9月、老朽化の進んでいた神楽殿が取り壊される。
令和元年6月、神楽殿跡地に、神前結婚式をはじめとする各種神事が斎行できる殿舎として儀式殿が新築される。儀式殿の竣工に合わせて、大祭として竣工遷座祭が盛大に執り行われ、同祭で、本殿で祀られている御祭神の御分霊が儀式殿内の神殿へも奉遷される。
社宝等
幣殿正面上部の「獅子と牡丹」の木彫
拝殿梁の「十二支」の木彫
拝殿向拝の「宝尽くし」の木彫
特殊神事
人形供養祭(毎年ひな祭りの次の日曜日)