氏神様の御霊を宿して育った子供が、無事に誕生させていただいたことに感謝し、 男子は31日目頃、女子は33日目頃に初めて氏神様へお参りをし、さらなる御加護を祈願します。 これが初宮詣《氏子入り》で、お宮参りともいいます。 北海道では30日前後ではなく100日前後が一般的です。 幼児の体調も考え、特に冬や夏の気候の厳しい時は必ずしも日数にこだわることなく、 生後30日以後100日ぐらいの間にお参りするとよいでしょう。
子宝に恵まれたことを神様に感謝し、母体の安全と無事に健康な赤ちゃんが生まれることを願って、 妊娠5ヶ月頃の戌(いぬ)の日に安産を祈願し「岩田帯」をしめます。
氏神様の御霊を宿して育った子供が、無事に誕生させていただいたことに感謝し、 男子は31日目頃、女子は33日目頃に初めて氏神様へお参りをし、さらなる御加護を祈願します。 これが初宮詣《氏子入り》で、お宮参りともいいます。 北海道では30日前後ではなく100日前後が一般的です。 幼児の体調も考え、特に冬や夏の気候の厳しい時は必ずしも日数にこだわることなく、 生後30日以後100日ぐらいの間にお参りするとよいでしょう。
晴着に着飾った愛らしい子供たちが神社に詣でます。 この風習は数え年で、男女3歳で初めて髪をたくわえる髪置(かみおき)、 5歳の男児が初めて袴をつける袴着(はかまぎ)、 7歳の女児が初めて帯をしめる帯解(おびとき)の祝いがその原形ですが、いずれも子供の成長の重要期にあたり、 健やかな成長を祝い氏神様のさらなる御加護を祈るものです。 北海道では、寒くなるのが早いため本州よりひと月早く10月15日頃からおこなっています。
成長に合わせた人生儀礼の他に、入学・卒業・就職など生活環境が変わる時も、人生の大きな節目です。 人生の折々に氏神様の御加護に感謝し、決意を新たにすることで、生き生きとした人生を送ることができるでしょう。
満20歳となり成人としての権利を持つことが認められるとともに、 自分自身の判断と責任と努力によって国民としての義務を果たし、 いっそう充実した一生を送ることを氏神様に誓う祭事です。 成人に達したことを祝う儀式は形式こそ違え、わが国でも古くから行なわれていました。 古くは武家の男子は15歳くらいになると前髪を剃って烏帽子をかぶり、一人前の大人として認められました。 庶民でも若者組に入ることが許され、村の祭礼に参加して神輿をかつぐことも認められました。 また女子は13歳くらいで娘組に入って針仕事などを習ったとされています。
神前結婚式は、数ある人生儀礼の中で最も晴れやかな節目です。 神様のお導きによって結ばれた二人が、親族や友人の参列のもとに御神前で神酒を酌み交わし、 末永く苦楽を共にして仲睦まじく明るく楽しい家庭を築き、 子孫の繁栄をはかるべきことを誓う厳粛な中にも麗しい儀式です。
夫婦ともどもに健康で仲睦まじく過ごせたことを神様に感謝し、 心を新たにして、これからも二人でカを合わせて良い家庭を築いてゆくことを誓い、お祝いする機会です。 ご家族で神社に参拝いたしましょう。
父・母・祖父・祖母たちをはじめ、一家のものが長寿であることほど、おめでたいことはありません。 昔から年齢によって次のような長寿の祝いがあります。 お祝いの当日は、氏神さまに参拝し平素の御加護に感謝し、ますます壮健で長生きするよう祈願し、家族一同揃って長命をお祝いしましょう。
厄年は古来災難が多く、行動や振る舞いは慎しむ年であるとされています。 神社に参詣して、災を福に転ずるために厄祓をうけます。 ところによって数え方は異なりますが、一般に厄年は数え年の男性25・42歳、女性19・33・37歳を本厄、その前後を前厄、後厄といいます。 また、この他にも61歳の還暦を厄年とする数え方もあります。 これらの歳を災の多い年とするのは、けして迷信ではなく、 この頃がちょうど肉体的な変調や社会的な転機の時でもあるからで、災厄を祓い清め、気を引き締めて乗り切りましょう。
北海道内において営まれている神道葬儀の一例を挙げて解説 しております。
北海道での神葬祭の祭壇の一例
不幸にして人が亡くなることを神道では帰幽(きゆう)といいます。 神道の考え方では人は神々と祖先の恵によって現世(うつしよ)に生まれ生活をして、 死しての後の御霊(みたま)は、幽世(かくりよ)に帰り、やがて祖先の御許(みもと)に帰りつくとされています。
神道の葬儀式は、北海道における一般的な例としては「帰幽奉告の儀」「枕直しの儀」通夜にあたる 「前夜祭・終夜祭・通夜祭」翌日の「葬場祭」「発柩祭」「火葬場祭」「帰家祭」 そして毎十日ごと五十日迄の「旬日祭」となりますが、 道内の地域によっては「仮通夜」を営み翌日発柩、火葬の後に通夜を行う場合もありますので、 奉仕神職や葬儀社とよく打ち合わせをすることが必要です。
最初に氏神神社、産土(うぶすな)神社、その土地の鎮守の神社、 または日頃の崇敬神社などに連絡をして神職の指示を仰ぎ、 病気平癒を祈願した神社があれば、その祈願を解きます。 神職により産土の神様と幽世の神様への「帰幽奉告の儀」が行われます。 <場合によっては「枕直しの儀」の際に行われることもあります>。 喪家(そうけ=喪主の家。又は葬儀を出す家)では、 神棚と霊舎に家人の帰幽を喪主が奉告し、お供え物を撤して五十日祭までの間は神棚の全面に白紙を貼り、霊舎を閉じます。
次に葬儀社を決め、病院などで亡くなった場合はご遺体を喪家もしくは斎場へお移しします。 葬儀社による枕飾りの後に神職が「枕直しの儀」を奉仕し、併せて葬儀に関する打ち合わせが行われます。 神職が祭詞を作る際に参考とする故人の経歴等もこの時に承ります。 枕飾りの祭壇には形式にこだわらず故人の生前の嗜好品をお供えします。 この後はおもに神職と葬儀社が専門的な準備を行いますので、 ご遺族は通夜に先立って「湯灌の儀」「納棺の儀」を行い、柩と共に通夜の斎場に向かいます。
通夜にあたる「前夜祭・終夜祭・通夜祭」は、 夜を徹して故人の蘇生を願って行った古代の殯(もがり)の遺風とも言われる鎮魂の儀礼です。 この通夜では室内を消灯して故人の御霊を霊璽(れいじ)に遷し留める「遷霊の儀」も行われます。
翌日の午前には、故人に最後の別れを告げる「葬場祭」が営まれます。 神職が奏上する祭詞には故人の経歴や功績人柄が読み込まれ、 会葬者と共に故人の遺徳を讃え、在りし日の姿を偲ぶ、人の世の終焉に際しての最も厳粛な儀式です。 引き続き野辺送りの「発柩祭」「火葬場祭」が奉仕されます。 「発柩祭」は本州では通夜祭を終えた翌朝、葬場に向かう際に行われますが、 北海道では通夜と葬儀が同一斎場で営まれるため、火葬場へ向かうための「発柩」の意味合いとなります。 また通夜及び葬場祭に参列した場合や火葬場から戻った遺族は「清めの塩」を使います。 これは宗教的な儀礼というより、お弔いに関しての日本人の民族的な思想の概念によって行われて来た風習ともいえるものです。
午後には喪家もしくは斎場にて、遷霊されて仮霊舎(かりみたまや)に安置された御霊に対して、 葬儀が無事終了した旨を奉告する「帰家祭」が斎行されます。 本州などでは、火葬後直ちに遺骨は埋葬されることが多いため、 霊璽と墓前の両方の祭儀が同時に執行されることになりますが、 一般的に北海道では、火葬した遺骨をそのまま直ちに埋葬する風習が少ないので、 結果的に納骨までの暫くの間は霊璽と遺骨の両方を前にしての祭儀となります。 以後の霊前祭は、仮霊舎の霊璽を中心に「旬日祭」として十日毎に斎行し、 五十日祭は特に「忌明け」とも呼ばれる重儀となります。 一年に亘る喪中の期間で最も強い第一期の忌中がこの五十日祭で明け、 次の第二期が百日祭、最後に一年祭で喪明けとなります。
五十日祭の折りには特に「忌明け後清祓の儀」が行われ、 仮霊舎の霊璽は本来は一年祭後であるべき処、今ではこの五十日祭で家の霊舎に合祀されることが多くなっています。 神棚と霊舎の白紙をはずし、おまつりを再開します。 新年を迎えるための氏神様の神札もこの五十日が過ぎていればお受けできます。 北海道では五十日祭の前後に「納骨祭」が営まれることが多いようです。
この後「百日祭」を経て「一年祭」更に「三年祭」「五年祭」「十年祭」と、 以下おもに十年毎に五十年までの霊祭が各々周年祭として斎行され、 その以降は家の祖霊として合わせ祀られます。
饗饌(きょうせん=故人の嗜好品)の一例
神葬祭とは、その総てを神職が執り行う神道式の葬儀であり、 我が国古代の弔い(とむらい)※(1)の姿をその精神において今に受け継ぐ日本固有の喪葬(そうそう)儀礼です。 仏教伝来以前の我が国に於いては、既に固有の習俗として祖先並びに祖霊を祀(まつ)る信仰が存在しており、 それは現在の神葬祭とは趣を異にするとしても「先祖まつり」につながる葬儀が行われていたことは、 現存する歴史書等※(2)からも窺い知ることができます。一方、大陸から伝来した仏教は、 その布教に際して我が国特有の先祖祀りの風習を自らの教義の中にいち早く取り入れ「日本固有の仏教」に変貌させ、 時代の変遷と共に貴族社会から武家・一般庶民へとその枝葉をひろめ、 特に江戸幕府が「寺請(てらうけ)制度」※(3)を厳しく施行した為、結果的に仏葬が葬儀の主流をなすに至りました。 こうした中、我が国古来の先祖まつりと葬儀の在り方を見直す動きが芽生え、 江戸中期以降の復古神道的自覚※(4)と、幕末から明治に掛けての神葬復興※(5)の運動が結実して、 やがて神葬祭は全国的に復興し奉仕されるようになりました。
伊勢・豊受大神宮の江戸時代の神官・中西直方※(6)が詠んだ
「日の本に生まれ出にし益人は 神より出て神に入るなり」 (ひのもとに うまれいでにし ますひとは かみより いでて かみに いるなり)
の歌には「祖先の神から命を受けた者は、やがて祖先の神の許へ帰っていく」という、 日本人の死生観の一端がよく表されていると言われています。
神葬祭の喪葬儀礼は現在では、一般的に五十日祭迄の儀式をいいますが、 葬儀及びその後の霊祭(みたままつり)は総じてこうした信仰に基づいて斎行されます。 故人の御霊は遷霊(せんれい)※(7)により霊璽(れいじ)※(8)に遷して家の霊舎(みたまや)※(9)に祀り、 遺体は奥都城(おくつき=墓所)※(10)に斂(おさ)め、両者とも鄭重に祀られます。 故人の御霊はすぐに遠い彼方に消えるのではなく、五十日祭までは喪家(そうけ)※(11)に留まり、 やがて産土(うぶすな)の神の導きにより幽冥(かくりよ)の神の御許(みもと)に昇られるとされております。 この間は再びは戻らない遙か彼方に旅立つ後ろ姿を見送るのではなく、 お呼びすれば応えて下さるかのように、 この世を向きながら後ずさりして徐々に徐々に小さくなるお姿を遺家族が心静かに見守るという、 日本人が本来抱いている死後の世界への信仰が根底にあるとも言えるでしょう。
御霊は、おおよそ五十年の時を経て、やがては家や家族親族を守る祖霊(それい)・神霊(しんれい)となります。 現在全国で行われている神葬祭は、各地の慣習等を考慮しながら奉仕されて来た結果、 地域によりその実態に様々な違いが生じていますが、特に北海道は全国の風習が混在した地域でもあり、 葬儀形態の相違が道内各地において顕著に見受けられます。
神葬祭や霊祭等の斎行をご希望の場合は、早めに奉仕を依頼する神社を決め神職に詳細をお尋ね下さい。 また神葬祭・霊祭等についてご不明のことは最寄りの神社にお問い合わせ下さい。
参考資料
戎光祥出版株式会社「神葬祭大事典」 埼玉県・萩日吉神社蔵「神祇道葬祭口伝之巻」